五十嵐太郎さんを囲み建築あそび2001年12月8日 快晴
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その4 天理教3 ほんみち
 ◎スライド21

                   

これは何で、じゃー内田祥三(うちだ よしかず)なんであんな屋根を考えたかっていう、理由なんですが、これもうヒョツとしたら現存しないかもしれないんですが、東方文化研究所っていう30年代に内田さんが作った建物で、チョト中に入れなかったんで、遠くから写真しかない。和風の屋根があるんです。

 これを当時天理教の当時ヘッドだった中山正善が結構気に入っていて、「こういう感じの建物を作ってくれ」って・・さっきの高校が出来たんですよね。
 これは正確にいうと千鳥破風は無いんですけども、和風の屋根を複雑に組み合わせた形にはなっていて、天理の教主が内田さんにこういうのを作ってくれって言って・・さきの高校ができた。それが戦後あの巨大プロジェクトの基になってつながっていくわけですね。

◎スライド22

               

これは天理の駅前にある電話ボックスなんですけど
          佐藤笑う
見てのように、この形にが天理の、シンボルですけど、みんな共有しているんだなーっていう 「おやさとやかたスタイルのこの入母屋に、この千鳥破風・・ここもよく見ると鬼瓦に千木が付いているので、だいたい天理教に特徴的な形っていうのが集約されているわけですね

◎スライド23

               

これは駅から神殿の間は、ショッピングモール・アーケードでつながっている。お祭りの時は一杯信者が出入りしてる。ここは基本的に宗教都市ですから、おみやげやさんであるとか、神物ね・宗教関係のモノを売る、教団の本を売る。そういうお店がつながっていて15分ぐらい歩くと神殿に辿りつくと

◎スライド24

               

これはもうアーケイドを抜けて、これは丁度祭りの期間だったので、両側に縁日みたいなかんじで、出店が一杯出るんですけど、普段はこうじゃありません。

◎スライド253

               

これはですね、現在平成10年ですから・・いまも変わってないとおもうんです。これが神殿ですね。南北東西の礼拝所です。ここですね、色が付いている部分は一応現在完成しています。将来的にはさっきの模型でちょっと・全部つながるはずです。

 ただ、このプロジェクトは、以前ほどのような勢いはなくて、今はだいぶゆっくり進んでいます。すでにあるモノのメンテナンスだけでもかなりお金がかかります

 それとこの計画は教祖の言葉を手がかりにしたために、現実の都市の状況とは関係なくでてきたので、新しく土地を買ったりしないといけない場所もあります

 坂道はあるし、川は流れているという、その・・。ようするに土地を買ったりだとか、いろんな細かい折衝をやっていかないと、このあとこれ進まないんで、ホントの完成するか厳しいとこなんですが、現在・・
 全部で72棟ぐらい必要なんですけども、23か24ぐらい出来ているんで、三分の一ぐらい・・40数年かけて三分の一ぐらい出来ているんで、あと100年ぐらいすれば全部完成するはずです。

 明らかにペースダウンしているんで、全部つながるかどうかはわからないです。つながれば世界的に3.2キロ全部つながってた建物そう多くないので、非常に面白い場所になるとは思うんで すけど・

  佐藤 笑う

・取りあえず止めたとは言ってないので・・ このへんは博物館が入ってたり、病院が入ってたり。詰め所が幾つか入っていて、たぶん詰め所になりながら・・
ようするに全然違うビルディングタイプなんだけど、ほとんど同一の・・同じ外観の建物に全部 組み込んでいるわけです。

◎スライド26

              

 幾つか完成したやつ・・こんな感じなんです。詰め所だとおもいます。千鳥破風が特徴的な・・あとバルコニーがズート連続してるんですよね。これも内田さんなんかが、廊下なんか、結構火災の時のことを注意してる。バルコニーがつながっていると避難しやすい・・そうい話も・・

◎スライド27

              

t  写真は内側の方は・・
i  さっきは外側からのです・・
t  外側も内側もですか・・バルコニー・・
i・  ・細かくほんとに検証してないので、内と外とで違うかもしれない・・あと周りを吊り囲む「おやさとやかた」は千木を使っていないんですよ。鬼瓦に千木が付いてるのが・・神殿と教祖殿だけなんですよ。だから建物に序列をつけていて、こっちはより世俗的な空間。

 地方の教会だと鬼瓦に千木が付いてあるんですけど・・
いずれにしても建築中で最も神聖なものには千木があって「おやさとやかた」はぼくの知る限り一つも千木を付けたやつは使っていない。
 この提灯をズート並べるというのもわりと特徴的な・・これは祭りをずーとやってきて・・戦後ぐらいに確立したやり方らしいんですけど・・

◎スライド28

              

   佐藤  オーすごい・・これは・・

これが地形と関係なくやっている、下が水流れているところは、もー・・上を・・
千木のパターンは幾つか分かれていて・・全部交互に出ているやつとか、同じ単位で出ているやつとか・・

◎スライド29

             

これは北西側ですね、ちょうど高校がある・・見てのとおり将来ここに、増築したいということで、断面みたいのものが見えるんで

s  会場笑う    極端だね

これが角っこの建物・・

◎スライド30

              

これは満州・・日本戦前に満州に結構一パイ人が出ていったンですけれど・・ようするに宗教移民で、天理教の信者を集団で移住させてですね、そこだけ村を作った。その村の計画なんですけども、実際作ったんですけども、だいたい農業をこの周りで営むために、農業移民でいくんですけれど住居が並ぶ。真ん中の所に神殿があって、これも方角を計算すると、だいたい地場の方へ確か向いていました
 小学校。こいうのを幾つか作ってですね、天理教も千戸ぐらいの住宅を作るっていうビッグプロジェクトをだしたん・・日本が敗戦して、これは全部撤去してですね、これは残っていません。教会はいまでも残っているらしくて、地元の小学校かなんかにとして使われているらしい

◎スライド31

             

 ・・でですね、違う教団なんですが、天理教と関係あるんで紹介します。ほんみちっていう教団があってですね。これ大阪の羽衣のあたりに本部があるんですが、要するに天理教から分派して分かれて出てきた教団です。
 丁度・・大正の初めぐらいだったかな・・大西愛治郎という非常に熱心な信者が居てですね、その人がー作った、教団で。

 何でかれは分かれてきたかと言うと、さっき言ったように、明治時代の天理教というのは変わっていったんです。変質していった。

 例えば、教祖の世界創造神話を封印するなど、国家神道下の日本で受け入れられるために、いろいろ考えていた。しかし、一方で教義を研究して、社会にはむかうような人が出る。一種の原理主義かもしれません。分かりやすくいうと。

    会場笑う

 イスラム教でも・・あらゆる宗教は時代と共に変わる、時代と共に変わる。変わると必ず分裂するんですよ。ようするに社会に合わせてやっていこうというのと、本来この宗教はそうではなかったっていう人が出てきます。
 教祖が90才で死んじゃったという話をしたと思うんですけど、25年早く死んじゃたんですね、予定より。で、丁度教祖が死んだ25年目に彼がいろいろ言い出すんですね。
  
         会場笑う

信者の中にも、これは噂話みたいな形で、ちょうど「教祖の本来死の115才の年に次の教団を継ぐ人が出てくる」みたいなうわさ話が、あったときにちょうど大西愛治二郎っていう人が出てくる。

 最初は天理研究会みたいなことをやって、真面目に原典を調べようとってことをやるんです。やっぱりそうすると、当時の国とこー・・見解が相容れないが一杯出てくるんですね。で、結局天理教としては・・本人は天理研究会みたいな真面目な勉強会をやっていたツモリなんだけど、教団からは破門みたいなかたちになって別な教団をおこすわけです。

                  

 だからほんみちていうのは戦前非常に弾圧されたことで有名な教団の一つで・・例えばビラを出すんですよね。「今の天皇は全部嘘っぱちで、日本は戦争に負ける」とかいうことを一パイ書くわけ。戦前にそこまで正面切って、古事記も天皇も嘘で日本は負ける、なんてことを堂々とビラをまく・、地下活動でやったんじゃなくて、しかも偉い人にドンドン送りつけたらしいんですね。で、当然のように弾圧されたりするんですけれども。

 ほんみち
が一寸面白いのは、大西愛治郎が最初に天啓を受けたとき、神のお告げみたいな状態が面白くて。彼は真面目な宣教者だったんですけど、当時山口県だったかな、ある日取り憑かれたようになって、自分の家の中をクルクル歩き回るんです。ズート歩き回って服を全部脱いで、裸の状態で家の中をグルグル歩き回って、当時すでに妻子がいて、奥さんも子供も一緒になって裸でグルグル家の中を何時間も歩き続けてですね突然ひらめくんですね。ココに甘露台があるっていうことが閃くんです。

 でもおかしいわけですね、甘露台っていうのは本来奈良県の御地場にあってそこに立ってる柱のことを甘露台て言う。

 ところが、山口県でグルグル回ってピタッと止まる話自体は教祖が御地場を発見した儀式の反復なんですけども・・ここに甘露台があるっていう神のお告げは一体どういう事であろうって悩む。そこで彼はすごい大胆な解釈をするんですけども、自分が甘露台なんだって・・
 
 佐藤笑う

 ようするに柱が甘露台じゃなくて自分が人間としての甘露台なんだということを考えて、大胆に教義を読み替えて、自分は人間甘露台であるって言って、ほんみちが、この教団が発生するわけですね
 
 この教団っていうのは地場も持ちませんし、当然甘露台も持ちません。人間が甘露台っていうことで継いでいく。

 ちなみになんでこれが案内図になっているかというとですね、中は見せてもらえるんですが、一切写真撮影禁止なんです。ココを過ぎた瞬間から撮影禁止なんです、教団の教義が載ってるような本ていうものちゃんと売ってくれないんです。
 ようはなんでそうやって閉じているかと言うと戦前に非常に弾圧された記憶がかなり残っていて社会に対してあんまり開きたくない、ってチョツトあるらしいんですよね
 
◎スライド32

             

これもほんみちを外側から撮った写真でなんです。中の写真は用意出来ませんでした。
 建物としては、戦前大西愛治郎・「天皇は嘘だ」とか言って・・捕まって教団が処分されるんです。裁判がおきるんですよね。あんまり建築と関係無い話 なんですけど。裁判がおもしろくって、大西愛治郎が天皇が嘘だっていったことを裁判で裁くってことは・・実は大変難しい問題を抱えいて。

 なぜかっていうと、大西愛治郎が「天皇が嘘だ」って言うことを罪にするとすればですね、「天皇というのは正しい」ということ実証的に証明しないといけないんです。それはほとんど神学論争になってしまいます。 天皇っていうのもなぜ正しいかっていうことを実証的に証明するっていうことは非常に難しいわけです。だから結局裁判所としてはちゃんとしや裁判にしないで、大西愛治郎っていうのは頭がおかしいヤツだってことにしたんで

  会場薄笑い

それで精神病院入りみたいな感じにしちゃって、裁判にすることは結果的には避ける。

 戦後は釈放されてですね、50年たちさっきみたいな建物を作るとか。 建物のそれ自体かんしたては資料にアクセスできないので、なぜこうなっているか説明できないんです

 ただ面白いのはあらゆる資料っていうのが、資料にアクセス出来るかどうかっていうことが非常ー・・に政治性や歴史性を帯びているってことで。そういうのが教団に当たると分かる。 

 逆に天理教は、もう社会的に認知されていますから、図書館に行けば、かなりの資料を見ることができます。ただ、戦前の資料の扱いに関しては、少し制限が残っていますけど。


一応これで前半は終わりなんです・・どうします・・切ります

s  もう・・やりましょう・・

 ズートやります・・・・

s いや休んでください

 いやいいんですけど・・・、天理教はここまでで・・


              



          ・・・   いったん休憩に・・・
                                     NEXT


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